Pushkarはインド西北部、ラジャスタン地方にある巡礼地。
村の中心には、創造主ブラフマーを祀った聖なる湖があり、湖畔にはインド―イスラム様式の白い寺院が建ち並んでいる。
この辺りは半砂漠地帯で、周辺の村からやってきた、カラフルなサリーを着た部族の人たちの姿をよく見かける。
骨董屋のアショクマとの出会い、山の上の寺院のババ(司祭)にミルクやお米を持っていったこと、古い絵やトンボ玉を集めたこと、
世界全体があかね色に染まるような夕映えなど、プシュカルには、いろいろな想い出がある。
アショクマの話によると、ここにやって来た巡礼者たちは、銀製の装身具やコインを湖に投げて祈り、願掛けをするそうだ。
それで、湖に網を投げると、ずっと昔の人が投げ入れた銀の装身具を引き揚げることができる。
彼の店に置いてある古い銀製品の多くもそうやって見つけたものだということだ。
ある年の夏、自分は湖畔の古い邸宅を改築したホテルに滞在していた。長旅の疲れで体調を崩し、
湖に面した部屋で休んでいると、ものすごい大音響の音楽が聞こえて来た。
何かのお祭りをやっているようなのだが、その音量が尋常ではない。この辺のインド人の感覚は、
日本人にはなかなか理解しがたいものがある。 その歌と音楽は三日三晩、夜中もほとんど一時も止まらず
寺のスピーカーから大音響で流れていたので、頭がおかしくなりそうだった。ホテルのひとに聞くと、五日間続くらしい。
どうせ無理だとはわかっていたが、少し音量を下げてもらえないかと苦情を言いに言った。行ってみると、
湖畔に小さな寺院があり、その中庭に花で飾られた御輿が祀られ、村人たちがそのまわりを廻りながら踊っていた。
お寺の前にいた人たちに、下手な英語とヒンディー語で一生懸命考えた「要望」を伝えたのだが、やはり聞き入れてもらえない。
しかたなく、踊っている人たちを見ていたのだが、写真を撮っているうちに面白くなってきた。特にあるおばあさんの踊りが素敵だった。
とても幸せそうで、身のこなしや腕の振りが美しかった。本当に単純な踊りなのに、微妙な動きの線に言葉に出来ない美しさがあった。
その時だった。自分はそのおばあさんの指先から花のようなものがこぼれ落ちているのを見た。
本当に花びらを持っていたわけではないのだが、それは美しい花弁のように見えた。はっきり見たわけではないのだが、
殆ど見えそうになっているのを、手で触れることができるほどリアルに感じた。それは多分、おばあさんの長い人生のなかの、
青春時代の歓びのエッセンスのようなものが、花弁のかたちとなって指先からこぼれ落ちていたのだと思う。
ほんの一瞬だったが、たしかに「観た」のだった。
おばあさんは、旅行者であるわたしの存在など、眼中になかっただろう。
自分の踊りを他の人に見せたいという気持ちさえなかったかもしれない。しかし、すばらしいものを見せてもらったと思った。
帰り道は、うるさい音楽が、さっきより少しだけ気にならなくなっていたのだった。
世界と人生は、実は愛と不思議に満ちている。そして何か機会があれば、そしてこちらの準備さえできていれば
その一端を垣間見せてくれる。旅で出会う美しい光景は、単に自分が見ているのではなく、
まわりの世界から見せられているのだと思う。