Jul 6, 2010
黒の幻想
黒は明るい輝かしい色である。少なくとも私にとっては―。
陰鬱で濁った感じは、私の中では絶対に黒とは結びつかない。それどころか、朗らかで透明な宝石のような光の世界が、黒という言葉から私のなかに生れる。
それは時には、優雅で温かい女性的な肌触りを連想させることもある。
また時には、冷たくて爽やかで、合理的な盤のような映像を喚び起こすこともある。
幾何学的な構造の石の建物の、廊下には四角な黒い板が敷き詰められるだろう。
純白な大理石の壁には、円形の黒い板がはめこまれるのがふさわしい。
巨大な哲学の体型は黒い塔を想わせるし、完璧な短い詩篇は小さな黒い箱である。
黒い夜空ほどなまめかしいものはなく、黒い髪の毛ほど神秘なものはない。
黒白映画は着色映画よりも遥かに幻想的であり、墨絵は極彩色の絵よりも深い空間を表現する。
黒は最も形而上学的な色である。それに比べれば金の豪華さも輝きを失う。白の無邪気さも幼く見える。
黒衣を纏う時、女は最も美しく、男性は最も雄々しい。黒はそれを身につける全てのものの本質だけを表出させるようにする。
眼を閉じて聴く時、人の声が最も感情を繊細に表現するように感じられるのは、その声が黒の背景のまえを流れるからだろう。闇のなかを響く音楽が人を深く感動させるのは、黒が日常的な時間を永遠の中に解消させているからだろう。
人間の一生が美しく思われるのは、生れる前と死んだ後との二つの絶対の中間に、人生が意識される時である。つまり、無限に拡がる黒の平面のうえに、私たちの生命が小さな赤い血として見えてくる時である。
黒は明るい輝かしい色である。少なくとも私にとっては―。
ー 中村真一郎「氷花の詩」
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